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AD時代のこと⑦

本当は6月9日に書こうと思って温めていたのですが、先週忙しくて書けなかったのでずれ込んでしまいました。AD時代というよりもっとずっとずっと前の話です。

 

1993年6月9日巨人対ヤクルト11回戦

 中学1年だった私は、いつものようにテレビで巨人を応援していました。まだ高卒ルーキーだった松井秀樹がベンチ入りしていて出番を楽しみにしていました。 

しかし、この日はヤクルトの伊藤智仁というルーキー投手が巨人打線に立ちはだかります。ストレートと自慢の高速スライダーで8回までゼロ行進を続け、三振の山を築いていきます(なんと当時のセリーグ記録となる16奪三振!)。右バッターはど真ん中のスライダーなのに体をのけぞって避け(体に向かってきた球が急激に曲がりストライクゾーンに来る)、左バッターはインコースの糞ボールに次々と空振りしていきます。本当に圧巻のピッチングでした。  

ところが味方の援護がないまま0対0で試合は進み、9回裏2死から巨人の篠塚が初球を捉えサヨナラホームラン!。伊藤の投じた150球目でした(現代野球じゃ考えられない球数…)。巨人ファンだった私ですが、伊藤の素晴らしいピッチングを見ていたので、嬉しいというより何だか申し訳ないような複雑な気持ちに…。

このとき、テレビカメラは打った篠塚やサヨナラに沸く巨人ベンチをほとんど映すことなく、ずっと打たれた伊藤を映し続けました。日テレが中継する巨人主催ゲームで、主力クラスの選手がサヨナラホームランを打つという絵になる形で決着したにもかからわず、です。伊藤はマウンドで崩れ落ち、その後ベンチ前に戻るとグラブを思い切り叩きつけました。 

この試合は私の年齢以上のオールドファンなら結構覚えている方も多いのではないかと思います。この試合を見て、私は伊藤のファンになりました。そして、いつの間にか巨人ファンからヤクルトファンになっていました(今も大のヤクルトファンで、毎週末神宮球場に行く機会をうかがっています)。それだけあの時の伊藤のピッチング、試合後悔しがる姿はカッコ良くて印象的だったのです。 

このとおり、私をヤクルトファンにしたのは伊藤智仁です。ただ、もう一人、私に影響を与えた人がいるとすれば、この日の野球中継の担当ディレクターです。中継ディレクターは、中継に使う10数台のカメラのうち好きな映像を選び、その映像がテレビでオンエアされます。あのとき、あの打たれた直後に、中継ディレクターが、伊藤ではなく打った篠塚や長島監督が映ったカメラを選んでいたら、伊藤のあの悔しがるシーンを生放送で見ることはなく、私は伊藤の、ヤクルトのファンになっていなかったかもしれません。セオリー通りにいけば、日テレの中継で巨人がサヨナラ勝ちしたのですから、打った方を映すのが普通です。打たれた方を映しても、大したリアクションもなくスタスタとベンチに帰っていくだけの姿を放送することになってしまうかも知れないので。ただ、あのとき、おそらく中継ディレクターは伊藤のピッチングに何かを感じて、伊藤を映し続けたのでしょう。その選択は見事的中し、伊藤はグラブを投げつけ、視聴者の私はそれを生で見ることができました。伊藤の、ヤクルトファンの私があるのは、この日の中継ディレクターの判断のおかげなのです。

自分には伊藤のように人を動かすほどの圧倒的な能力は何も持っていないけれども、そんな自分でも中継ディレクターになって人を動かすことができる。だからテレビの番組制作をやりたい。それがテレビ中継の醍醐味だと思う。日テレの系列会社の面接で、私はそう志望動機を話し、その会社のADになりました。実は、面接を担当した方がその試合の中継ディレクターの1人であったということは入社後に知ったのですが…。

 

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